本:母さん、ごめん 50代独身男の介護奮闘記

最近、疲れていらっしゃるなぁと思われる患者さんの割合が
多くなった様な気がします。

そういう方々の、半分は仕事(それもおそらくは人間関係)、
そしてもう半分が、
介護に疲れているのではないかと思います。

以前ご紹介した本
『診療所の窓辺から いのちを抱きしめる、四万十川のほとりにて』
の中にも、行き詰まっている患者さんに向けて、
「なにごとも、ほどほどに」
と言う、著者の言葉が出てきます。

ここで、僕も書きましたが、
介護などで疲れている患者さんに、
何を言っても解決にもならないことは分かっていますが、
それでも、あえて言いたいなと思います。
「いい意味で、手を抜いてやりましょう」

ま、それができている人なら、
医療機関には来ていないでしょうけどね。

前置きが長くなってしまいましたが、
今回読んだ本がこれ:

『母さん、ごめん 50代独身男の介護奮闘記』 松浦晋也, 日経BP社
WS000010

著者は、バリバリの理系の人で、
日経BP社で数多くの理系の記事を
書いていた人です。

お母様が認知症になり、
独身で、兄弟も近くにはいなかったため、
何とか孤軍奮闘で介護されたのですが、
最終的には自分が壊れる寸前にまでなり、
最後は泣く泣く
施設に入れられるまでの話を、
理系のジャーナリストらしく、
単なる感情的な話ではなく、
第三者的な目を通して
書き記されています。

本の中から、心に残った文章を少し載せて起きます。

献身するものが憎まれる不合理
>介護と育児は大きく違うことがある・・・子どもには育つ喜びがある
>ぎりぎりでストレスがかかっている状態で「アンガーマネジメントの訓練を」と言われてもできるものではない
>悩む前にまず「地域包括支援センター」
>介護認定:困っていることは隠さず強調すべき

>「その日」が来る前にやっておくこと=事前に情報を収集しておくこと
>介護する側が楽をしないと、される側も不幸になる
>もしも親孝行をしたいなら認知症を発症する前にすべき
認知症になってしまってからでは、生活を支えることこそが親孝行となり、
それ以上の楽しいこと、うれしいことを仕組んでも、本人に届くとは限らない
>代替療法に意味なし

>ヘルパーは高度な専門職である
>老いに向かって、家の準備は早手回しに
>ものを減らすのは老いや認知症に対する消極的なようで有効な対策だ

>予防医学のパラドックス
社会全体としての健康寿命を延ばしていくためには、社会全体としての予防対策をとっていく必要がある
重症患者だけを手厚くケアしたり、逆に見捨てて社会から切り離してもダメ
多くの人が、ほんの少しリスクを軽減することで、全体には多大な恩恵がある
高血圧の患者を集中的に治療しても高血圧患者はあまり減らない。社会全体に「減塩しましょう」と呼びかけ、習慣として定着させることで、初めて社会全体としては校高血圧患者が減る。

>分断をあおるポピュリストに注意
社会を敵味方に二分して敵対させるのは耳障りはよいが、社会を分断し傷つける
認知症患者を減らし、健康寿命を延ばして、今の社会を維持していくために必要なこと
社会全体でじんわり予防し、柔らかく包摂
分断によって、患者を社会から切り捨てるのではなく、社会の一部として包摂していくことが大切