本:意識はいつ生まれるのか2

(今回はネタバレ結構あり。読もうと思う方はご注意下さい。)

「意識」をニューロンの活動量で測るのには限界がある。
それでは、どうすればよいか、
筆者はそれを模索するのに、一つの仮説を立てます。
それは、”統合情報理論”と呼ばれています。

”情報を統合する能力があれば、そこに意識がある”
これが基本的な考え方になります。

と言ってもこれでは何のことかさっぱりわかりません。

この理論について、筆者は、
すごく単純化した思考実験を示し説明してくれます。

ある部屋で座らされて一つの作業をするとします。
「部屋が明るくなったと感じたらスイッチを押して、
暗くなったと思ったらスイッチを放す」
こういう作業を繰り返し行うとします。

この作業は、ちょっとしたマイコン制御の機械で
同じ様なことができます。

マイコンと人間で、
ムラがあるとか、誤差が大きいとか
そういうことは無視するとして、
出てくる結果は同じです。

でも、人間と機械では作業の背景は圧倒的に違います。
たとえば、もし部屋が単純に明るくなるのではなく、
赤くなったとか、青くなったとかしたとすると、
ボタンを押したらいいのか押さないでいいのか迷います。
あるいは、部屋には机がおいてあったり、
壁に絵が掛かってあったりしたとしても、
それらは選択肢としては選びません。

出てくる結果は、スイッチがON/OFFになるとしても、
人の場合には、
背景に選ばれなかった選択肢が無数にあります。
「暗い」という情報がでてきた時、
それは機械の場合なら、単純に○○ルクスであった
ということですが、人の場合は、
脳という装置内で無数の選択肢が排除された上での、
「暗い」という特殊な状態を意味するのだと。

つまり、
”意識の経験は、豊富な情報量に支えられている。つまり、ある意識の経験というのは、無数の他の可能性を、独特の方法で排除した上で、成り立っている。いいかえれば、意識は、無数の可能性のレパートリーに支えられている、ということだ。”(p.118)

ただし、情報量がいくら多くても、
欠かせないもう一つの「要件」がある。
それが「統合」なのだそうです。

ここで、筆者はデジタルカメラで撮影することと、
我々が目でモノを見ることを比較します。

「ルビンの壺」と呼ばれる有名な絵があります。WS000003
相対している人の顔にも壺にも見える、コレですね。⇒
これ、人間の場合は、普通その一瞬だけを取り出せば、
人の顔か、壺か、どちらか一方しか見えません。

デジカメの場合、カメラの反応面を半分、
あるいは何分割かにしても、機能は変わりません。
それは単純に被写体を写すだけだから。

しかし、人間の場合、
もし脳を正中で左右に切り分けると、
右脳と左脳で2つの脳に別々の意識が宿り、
右の脳は左の人の顔しか見えず、
左の脳は右の人の顔しか見えなくなるのだそうです。
そして、脳を無数に切り分ける
(もちろんそんなことはしませんが事故などで似たことが起こると)
意識も消失し植物状態になるのだと。

つまり、豊富な情報と、
それを元に情報が何らかの統合をされた時に
意識は生まれるのだということです。

もう1日、明日この話をします。