『レディ・ジェーン・グレイの処刑』がやってくる!2

僕がこの絵を見たのは
実に12年前。2005年の夏休みでした。

その時の印象は、旅行から帰ってから、
当時匿名でやっていたブログで書きました。

以下、その時の文章を載せます。

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2005-08-26 悲しい物語

ロンドンのナショナルギャラリーには中世の宗教画を中心に膨大な絵画が展示されています。
この中で最も僕の印象に残った絵:
Paul Delaroche作
「The excution of Lady Jane Grey  (レディ・ジェイン・グレイの処刑)」

世界史はてんでダメなのもので、よく知られたお話なのかもしれませんが、僕は全く知りませんでした。

1553年、時の国王エドワード6世は生来病弱で誰の目からみても長くはないと思われていた。
当時、美と才をあわせ持ったLady Jane Greyは16歳にて、王位継承権第4位にあったという。それに目をつけたのが、英国国教会プロテスタント派John Dudley。彼は自分の息子とLady Jane Greyとを婚姻させたが、その裏には、病床にあるエドワード6世を説き伏せ彼女を次の国王にする旨の勅状を得ていたのだ。最終的には自分の孫を国王にしようという訳だ。

国王エドワード6世崩御後、Lady Jane Greyの王位宣言がなされたが、周囲の反発が強く結局Lady Jane Grey をはじめ、John Dudleyとその息子も捕らえられる。
そして、カトリック派メアリー女王の誕生。

Lady Jane Grey もロンドン塔に幽閉されるが、メアリー王女は彼女にカトリックに改宗するなら罪を許すと迫ったにもかかわらず、Lady Jane Greyはこれを拒否してしまう。

そして、1554年2月12日ロンドン塔の中庭で処刑が行われた。
Lady Jane Greyは9日間のみの王女であったため、Nine Day’s Qeenとも呼ばれている。

Paul Delarocheの絵は、どこか部屋の中の様にも見えますが、実際は写真のようなところです。
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最初、絵を見たとき目隠しされたLady Jane Greyの顔が、目隠しされているからかももありますが、肌は白くすごく美人なのです。その美と対照的に、中央下に置かれた斬首台や筋骨隆々の処刑人の持っている斧が実に生々しく、悲しみを誘います。

野望と宗教対立の中に放り込まれ翻弄されたLady Jane Grey。
ロンドン塔で幽閉されている間、どんなことを考えて時間をすごしていたのでしょう。

インターネットで「Lady Jane Grey」で検索すると、実にたくさんのサイトがでてきます。僕は恥ずかしながら知りませんでしたが、Lady Jane Greyに関する本などもたくさんあるようで、世界中の人々が彼女の人生を聞いて涙したものと思われます。

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何かの資料を見ながら書いたのだと思います。
内容が間違っていたらご容赦願います。

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