本:江戸と現代 0と10万キロカロリーの世界2

(昨日からの続き)

たとえば「食べ物」。
江戸時代といえば何となく飢饉続きで、
餓死する人が多かった・・・みたいなイメージを持っていませんか。
確かに、僕もそんなイメージがないわけでもありません。
もちろん、地方で、食べ物に困る年もあったかもしれませんが、
この本によれば、
関ヶ原の合戦の頃の推定人口が1200万人であったのに対し、
8代将軍徳川吉宗の時代には、3000万人にまで増加していたそうです。
120年の間に人口が2.5倍にもなる時代、
それほど全国で食糧不足が深刻であったはずがないと筆者は言います。
0キロカロリーの時代、ご先祖はそれなりに暮らしていたと。

翻って、10万キロカロリーを消費する現代日本。
30~40%の食料はゴミになっている。
これはやはりエネルギーの無駄遣いではないかと筆者は言います。

たとえば「旅をする」。
日本人は旅行好きであると。
この旅行好きは今に始まったことではなく、
すでに江戸時代からそうだったらしい。
ここでも何となく間違ったイメージが刷り込まれていたことに気づくます。
昔の人は移動の自由がなく、その土地に縛られていたようなイメージ。

しかし、江戸時代にお伊勢さん(伊勢神宮)にお参りをした人数は、
推定であるが、486万人。
当時の人口を3000万人とすると、
日本人のほぼ6人に1人はお伊勢さんにお参りをしたとか。

当時はお金のない人はないなりに旅行ができたらしい。
お金のある人が施行として、
お金のない人に無料サービスをしていたらしいのです。
ちょうど今でも習慣として残っている、
道行くお遍路さんにお布施をする様な感じらしい。

お金のある人が、お金のない人に施すというシステム。
今だと、高所得者から税金を取って、
社会保障という制度で還元すればいいと考えますが、
制度というのは肥大化すると
それを維持するだけで莫大な経費がかかってしまう。
昔の人は社会主義の理論など知らなかったから、
お金に余裕のある人がない人に
施行の形で直接還元していたのだろうということです。

まあ、そんなこんなで、
江戸時代にも大勢の人が、
今とは比べものにならないくらいゆっくりと、
旅を楽しんでいたらしいのです。

そして最終章、タイトルは、「人類は豊かさに耐えられるか」。
ちょっと長いが引用します。
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敗戦後、特に高度成長期以後のわれわれ日本人は、ひたすら豊かさを求めて努力してきた。その努力がむくわれて、所得は年々増えた結果、今では世界中で最も裕福な国の一つになったそうだ。
めでたく目的を達したおかげで、日本人の生活水準は目ざましく向上した。自家用乗用車、海外旅行、全室暖冷房、電気冷蔵庫のように、四十年前には一部の金持ちしか縁のなかった贅沢に一般庶民の手が届くようになった・・・どころではない。今では、この程度なら子どもでも贅沢とは思わないだろう。
だが、ものがたくさんあればあるほど、豊かで幸福なのだろうか。
前にも書いたが、どこかの大統領夫人が、靴を三千足もっているというので話題になったことがある。
(中略)
靴が三千足あれば毎日はき替えてもすべてをはくのに三千日つまり八年二ヶ月以上かかる。同じ靴を三日ずつはけば九千日、つまり二十四年八ヶ月もかかる。その間に流行が変わってはけなくなるものがあれば、それを捨ててまた新しく買う。つまり、この人は靴に関して豊かなのではなく、使いもしない、使えもしない靴を無駄に並べて場所ふさぎをしているだけなのだ。
当人がどう思っていようと、客観的に観れば、箪笥のこやしと同様、一種のゴミ屋敷状態にほかならないのである。
(以下略)
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そして、「目もくらむほどの豊かさ」になった現代、
人間に起こってきていることは、生活習慣病の低年齢化や、
小児のうつ病の増加など。
我々は、今程度の豊かさにでさえ、
すでに耐えられなくなってきていると筆者は言います。

筆者は、今の半分、5万キロカロリー程度のエネルギーが使えれば、
衣食住に関しては
今とほとんど同じ水準の生活ができるだろうと述べています。

まあ、最低限、トイレは水洗であって欲しい
というのが僕の最低限の希望です。
それ以外は、多少の不自由は仕方がないかなぁとも思います。