本:『心の社会』3

プログラムがたくさん集まれば、「こころ」が自然に生まれるのか?

直感的に考えると「否」ですが、
本当にそうなんでしょうか?
集まるプログラムの量が少ないから今のところ生まれていないだけで、
もっと膨大なプログラムが集まれば
自然発生的に「こころ」は生まれるかも。

おそらくこういう問題は、専門外の僕が考えるまでもなく、
コンピューターが登場して以来、
色々な人が協議していることでしょう。
(詳しい人がいたら教えて下さい。)

そして、「こころ」の問題とともにある問題「いのち」。
膨大な量の細胞が集まって、協調性が出てきたら、
自然発生的に「いのち」が生まれるのか?

でも、それなら単細胞生物は生物ではないのか?
そんなことはないですよね。命はありそうです。
でも、それならウイルスはどうなのか?
自己を複製して増幅させようとする観点からいえば
生命だということになりますが・・・

この辺の話は、他の本でも読んだことがあった様な気がします。
もし、自己を複製し増殖させる働きを「いのち」定義するなら、
ものの考え方や思想などもそういう側面があるのでは。
こうした考えについて、「ミーム」という概念で、
リチャード・ドーキンスは
『利己的な遺伝子』という本の中で提唱しました。

そういえば、
「ビートルズの遺伝子を受け継いだ音楽」
なんて言葉をCDショップでみた記憶があります。

そう考えると、「いのち」という概念は、漠然としていますが、
「次世代に受け継ぐべきもの、受け継ぎたいもの」
とも考えられるのかも。
生物学的に受け継ぐものは遺伝子なのかもしれませんが、
もしそれがかなわないのであれば、
自分の思いを受け継いでくれるものを見つけ継承することで、
いのちのバトンをつなぐことができます。

話がどんどんそれてしまい、
何となくうさんくさい話になってしまいました。

この『心の社会』と言う本は、「心」を扱っていますが、
まったく情緒的な部分を排して、
科学的な目で心をとらえようとした本です。