ケ・セラ・セラ

先日夕食を食べながら、
嫁さんが撮っておいてくれた映画を観ました。

映画を見るのは久しぶりです。
映画を観るのって意外と気力が要ります。
ここのところ何となく余裕がなくて、
見るものといったらお笑いばっかりで
アハハアハハと笑い抜かしておりました。

しかし、それではビデオの録画容量がどんどん減っていきます。
たまには映画なども見てビデオの空き容量を増やさねば、
そんな危機意識に背中を押されて、一つ映画を見ることに。

今回観たのは「知りすぎていた男」。

ヒッチコック監督の1956年のサスペンス映画。
主演はジェームズ・スチュワートとドリス・ディ。

場所はモロッコから始まりますが、これが異国情緒と言うか、
何とも怪しげな雰囲気を醸し出しています。
そこである事件が起き、その後舞台はロンドンへ。

映画の中で、ドリス・ディが歌う『ケ・セラ・セラ』が
効果的に使われていて、事件は解決に向かいます。

『ケ・セラ・セラ』
ある程度の年齢の人なら聞いたことのある歌ですね。
横文字で書くと”Que sera, sera”
スペイン語かと思っていたのですが、どうもスペイン語っぽい造語らしい。
でもスペイン語で”Que será”は、”what will it be”。
seráは三人称単数未来形なんだそうです。

でもよく聞いたことがある曲にもかかわらず、
歌詞をしっかり読んだことがありませんでした。

When I was just a little girl
I asked my mother
What will I be?
Will I be pretty?
Will I be rich?
Here’s what she said to me

私がまだ少女のころ 母に聞いたの
私は何になるのかな?
私はきれいになるかなぁ? お金持ちになるかなぁ?
すると母は私に言ったわ

Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future’s not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be

ケ・セラ・セラ
なるようになるわ
未来は誰にも分からない
ケ・セラ・セラ
なるようになるわ

だいたいこんな様な意味ですね。

先ほど「しっかり歌詞を読んだことがない」と書きましたが、
歌詞を見てみたら、なんか昔、この曲の歌詞を題材にした
語学講座を聴いたか見たかしたような記憶がかすかに・・・
何となく百万人の英語というラジオ講座の様な気もするのですけど
違ったかな?

ところで、このケ・セラ・セラ、有名な曲だけあって、
ネットでいろいろ検索しているといろんな人が、
興味深いことを書いて勉強になります。

Whatever will be, will be
というフレーズですが、
僕は”Whatever will be”で1文が完結、
つまり、
You will be whatever (あなたはなんにでもなるでしょう)
みたいな感じがひっくり返っていて、
”, will be”は単なるリフレインかと思っていました。

(でも”Que será”由来とするとseráは三人称単数未来形だとすると
YouではなくIt(起こりえること)で
It will be whateverなのかもしれません)
まあ何せ英語苦手なものですから適当です。

ネットをみていたら、きちんとした説明をみかけました。
Whatever will beは名詞句で、
”Whatever will be”がwill beなんだと。

つまり、存在するだろうものは何でも、存在するだろう
ということから、「なるようになる」と意訳するわけですね。

ところがこの文を、
「なるようにしかならない」と訳される人も結構いらっしゃいます。

なるようになるから、
あまり結果は気にせずに自分のできることを一つ一つ頑張りなさい。
ともとれますが、

なるようにしかならないから、
自分の身に起こることを受け止めながら生きなさい。
みたいなことにも考えられます。

まあ、歌ですから、
どちらかというとポジティブなニュアンスなんだろうと思いますが、
ケ・セラ・セラ一つでもいろいろと考えさせられますね。