モノにはココロがあるか?

以前、『人志松本の酒のつまみになる話』で松本人志さんが、
「モノって魂あるんちゃうか?
車買い替える話とか、その車の中では絶対したらあかん。
しゃべったら、必ず調子悪くなるねん。」
みたいなことを話されていた様に思います。
(「モノには魂が宿る説」で検索してみると結構出てきます。)

モノにも魂(ココロ)がある:
外国にもそういう物の考え方をするところは多少ある様ですが、
特に日本ではこうした考え方をする人は結構多い様に思います。

僕もそんな考え方好きです。

モノも使っているとだんだんと古びてきます。
場合によっては、捨てざる負えないモノもでてきます。
お気に入りで着ていた服もそうですし、
靴下や下着なんかもその一つです。

靴下なんかは穴があいたらサヨナラです。
・・・まあ、昔の人は、つぎをあててさらに使ったのかもしれませんが、
さすがにそこまではしていません。昔の人は偉かったですね。

僕の靴下や下着が、さすがにもう使えないね、捨てるしかないね、
という段になったとき、嫁さんが僕に声をかけてくれます。
「これ、そろそろ捨てるね」
声をかけられたら僕は、「ちょ、ちょっと待って・・・」
と言って部屋に戻ります。
そこでカメラを取り出してきて床に並べて記念写真!

「これまで長い間、ありがとう!僕は君たちのことを忘れないよ!」
そう言いながら写真をパチリ。

ま、あとでわざわざ見なおすこともないし、
実際にはすぐに忘れてしまうんですけどね。

でも何年かしたとき、たまたま撮りためた写真を眺めていたら
その時撮ったシャツやパンツ、靴下が突然目の前に現れ
ギョギョっと僕のココロをちょっと揺さぶります。

時々考えることがあります。
モノにココロがあるとしたら、
大事に大事にされて、特別な時だけ手に取ってもらえるモノと、
毎日、毎日、クタクタに使われて消耗して壊れて捨てられていくモノと、
どちらがモノにとって幸せなんだろうかと。

どちらにしても、使えるものはしっかり使って、
いずれ自分のもとを離れていくモノに対して、
僕はせめて感謝の気持ちを伝えていきたいなと思います。

な~んて、カッコいいこと書きましたが、
実際にはダメダメなんですね。
その話は、また別の機会に書きたいと思います。