僕が医師になるまで33

6年生の夏休み、
そろそろ進路を決めなければいけません。
僕は帰省の際に、いくつかの医局に話を聞きに行きました。
まずは腹部外科。

某大学病院の腹部外科はちょうど教授の退官が間近だったので、
ちょっと先行きが不安でした。

別の大学の腹部外科では、
医局員の人が対応して下さいましたが、
そこの医局では、
外部からの入局は、結構ハンデがあると聞かされました。
具体的には、関連病院にばかり派遣されて
大学にはほとんど戻してもらえないよと言うのです。

まあ、大学病院というのは、
日常の診療に加え、後輩の指導や、学生の教育、
その合間を縫って研究や学会発表をしなければいけません。
そうしたこともあり、
最近では大学病院を敬遠する人もいますが、
当時は、大学病院で仕事をするのが、
なんとなく一番いいコースだと僕は思っていた様に思い、
大学に戻れないのはなぁ~と考えていました。

まあ、そんなわけで、
腹部外科は少し優先順位が下がりました。

耳鼻咽喉科については、
母校の高知医大の齋藤教授のもとで修行をするのが、
最も魅力的に映りましたが、
僕の年は耳鼻咽喉科の人気は高く、
夏休み前にはすでに、
5~6人が入局の意思表示をしていました。

同期に入局する研修医が多いと、
雑用は分配されて減りますが、
手術の患者さんなどを受け持つ機会も減ってしまいます。

仮に年に60件手術があったとして、
同期の研修医が3人なら20件を受け持つことになりますが、
6人いれば10件です。

実際に自分が執刀するというのは少し先になるのですが、
それでも、手術の腕というのは、
もちろん、事前の勉強量や、その人のセンスなども、
強くかかわってはくるのですが、
基本的には、どれだけ手術に入ったかにかかってきます。

そして、そうした医学の経験は何も手術に限らず
すべてにおいてそうです。
どれだけ数多くの色々な患者さんに出会って
それを勉強して自分のものにしたかが、
その人の医者としての力となります。

もともと滋賀県に戻りたいと思っていた事もあり、
耳鼻咽喉科を専攻するにしても、
同期がそんなに入局するのであれば、
やはり滋賀に戻って研修しようと思いました。

ここで、僕にとっては非常にラッキーなことがありました。

(次回に続く)