うどんと私

今週は「そばと私」について、3回にわたって書いてしまいました。
ついでなので、「うどんと私」についても書いてみようと思います。

まず、うどんについての最も古い記憶は何かな?
考えてみました。

まず、日常として、母親が作ってくれた
晩ご飯の献立の一つとしての汁物のうどんを真っ先に思い出しました。
ごく普通のありふれた日常の献立の一つでした。

それと比べると非日常的だったのが、
スキヤキの後のうどん!
スキヤキ自体が、昔は比較的ハレの食事だったものですから、
そのスキヤキの締めくくりにうどんが出てくると、
子どもだった自分にとって、テンションは最高潮でした。

そのせいですかね、
今でもすき焼きの最後に、嫁さんが、
「うどん入れる?」と聞いてくると、
「もちろん!」と答えてしまいます。
あー、これがメタボの原因の一つなんですね。

蕎麦の場合、
立ち食い蕎麦の様な安いお蕎麦を、
ささっとかき込むという食べ方もあれば、
凝った雰囲気のお店で店主こだわりの蕎麦を
食べるのも楽しいものです。
両方とも魅力的な食べ方です。

うどんも、こだわりのうどんというのはあるのでしょうが、
何となくうどんはもう少し庶民的な感じがします。
不思議ですね、
蕎麦の方が痩せた土地でできるので、
より庶民の食べ物という気がするのですが。

さて、うどんで思い出す思い出がもう一つあります。
それは僕が大学に通っていた頃のことでした。

滋賀から高知に行くのに最もよく使っていたのは、
岡山経由のコースでした。
今では瀬戸大橋ができて、岡山から電車でそのまま、
高知まで2時間半少々で行くことができます。

当時は、岡山から宇野線で宇野駅まで45分ほどかけて行き、
宇高連絡船で1時間船に乗り、
そのあと高松-高知を列車で3時間ほどかけて、
ようやく高知に着くという旅でした。

この宇高連絡船のデッキで食べる讃岐うどんが好きでした。

いつも船に乗り込み、座る場所を確保すると、
2階に駆け上がり、うどんを注文します。
これをすすって、一息つくと船はあと15分ほどで対岸に近づきます。
すると、周囲の人が妙にそわそわし出すんですね。
そして、一人、二人と出口付近に並び始めます。
船が到着したら、接続している列車にいち早く乗り込むためです。
そして、船が着岸し、ドアが開かれると同時に、
多くの人が早足で列車に向かうのでした。
僕もみんなと同様に座席確保のために走ったものでした。

連絡船のうどんって、今食べたら
そんなに美味しいとは思わないのかもしれませんが、
これも学生時代の思い出の一つです。