耳鳴り:最悪、どこまで大きくなりますか?1

当院ホームページにはQ&Aをもうけています。
といっても、多くの人に質問されても、
ごくわずかの人の質問にしかお答えできていないのが現状です。
お答えできなかった方には大変申しわけありません。

そんな中、今回の質問には少し、
僕の考えをお答えしておこうかと思います。
(下記の抜粋をQ&Aにも載せておきます。)
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<質問>
耳鳴りが始まってからその音の大きさが少しずつ大きくなってきています。
最悪、どこまで大きくなりますか?
ある程度の大きさになればそれ以上大きくならなくなるものでしょうか?

<回答>
まずは、こうした考えを持つこと自体をやめましょう。
「引き寄せの法則」というのをご存知でしょうか?
人は考えたことを引き寄せてしまうらしいのです。
ご注意ください。

最近の耳鳴りに関する考え方は、
「耳鳴りは脳で知覚される」というのが主流です。

確かに耳鳴りの発生源は内耳(蝸牛)であることが多いと思われます。
耳鳴りの多くは
聴力が低下した結果として音を感じていると言われています。
(耳鳴りがするので聴力を調べてもらったところ
正常だと言われた場合は、ここをごらん下さい)

我々は音を耳で聞いているように思っていますが、
実際には耳はマイクロフォンとして音を拾っているだけで、
音を音として感じ取っているのは脳の働きなのです。
ですから、実際には「音は脳で聞いている」という方が正しいのです。

ですから、耳鳴りの発生源は内耳(時に聴神経)かもしれませんが、
耳鳴りを耳鳴りとして聞いているのは脳なのです。
もっと言えば、
耳鳴りを「嫌な音」として聞いているのは脳の働きなのです。

ただし、念のためお話しておきますが、
ここで言う脳の問題とは、
下記のようなものでは全くありません。つまり、
頭が悪いとか、正気でないとか、性格が悪いとか、
あるいは脳に難病があるとか、
そういった話ではありません。
(まあ、まれに聴神経腫瘍のような病気で
耳鳴りが強い場合もありますので、頑固な耳鳴りの場合、
一度は脳のMRIを撮っていただいておくことも時には必要ですが)

脳の問題とは、
脳での認識メカニズムの過剰反応というか、
考え方・とらえ方に悪い癖がついている
というニュアンスでとらえていただけるとよいかと思います。

般若心経の中に、

無受想行識(むじゅそうぎょうしき)
無限耳鼻舌身意(むげんにびぜつしんに)
無色声香味触法(むしきしょうこうみそくほう)

というくだりがあります。

最近、耳鼻咽喉科医として、五感が大切だなと感じていたので、
般若心経でこの文言を目にしたとき、
なんだか妙にうれしくなったことがありました。

まあ、お釈迦様は、
「五感で感じていることや、頭で考えたことは、
全て頭の中で生じたことであって、実体はないのだから、
そこにこだわってはいけない」
みたいな事をおっしゃっるのだと思います。
(間違っていたら、お知らせください)

これは、僕が日々感じている、
「五感を大切に研ぎ澄ませて、豊かな生活をおくりましょう」
という考え方と、ちょっと相容れないところもありますね。

たとえば、小鳥が鳴いているのを聞いて、
「ああ、いい鳴き声だな・・・癒やされる」
と思うのも、
「もう、全く、うるさいったらありゃしない!」
と思うのも、お釈迦様の考え方からしたら、
本当はどちらも同じことで、こだわっているわけで、
どちらもよくないということになるのかもしれません。

しかし、まあ、そこまで悟れればいいのかもしれませんが、
凡人である僕は、いいとこ取りして、
癒やされる方だけ採用するというのでいいのではないかと思っています。

おそらくお釈迦様の言葉を勝手に自分なりに都合よく解釈すると、
「五感で感じるものを、そのまま素直に受け入れて暮らしなさい」
ということでいいかとかと思っています。

話が大分それてしまいました。

続きは明日にします。