チューリップと俯瞰力

桜もほとんど散ってしまいました。
そんな、この時期には、この小説をどうぞ。

『葉桜の季節に君を想うということ』歌野晶午,文春文庫
小説というのは面白いなと感じた1冊です。

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桜は散ってしまいましたが、今が盛りなのがチューリップ!!
うちでは毎年、ベランダのプランターでチューリップを植えています。
と、言っても実際には嫁さんが植えてくれているのですが。

チューリップは、桜や梅ほどの風情は感じませんが、
可愛いさタップリで大好きです。
小さい子なら、一番好きな花は何?と尋ねれば、
チューリップが断然一番なのではないでしょうか。

さいた さいた チューリップの花が
ならんだ ならんだ あかしろきいろ

チューリップは愛らしいですね。
でも、その愛らしい花とは裏腹に、
その球根は、大昔オランダでは投機対象となりバブルの時代があったとか。
球根1個で家が買えたとかいう話です。
そりゃ、ちょっとやり過ぎですな。
でも、渦中の人にはその馬鹿馬鹿しさは見えないのでしょうね。

似たような馬鹿馬鹿しさというのは、
一つ間違えば誰にでも起こりえることなんでしょうね。
外から見れば、明らかにおかしなことも、
当事者には全く見えなくなっていることがあります。

これは何もバブルで熱狂している時だけではありません。
何か困ったことがあった時に、右往左往している時もそうです。
困った事柄が自分にのしかかっていると思うと、
もうそのことしか見えなくなります。
まあ、自分も含めて誰だってそういうところあると思います。

でも、一歩引いて斜め上からその様子を客観的に眺めることができたなら、
解決策がすぐ近くにあることが見えたり、
そうしたことができなくても、少なくとも冷静に考える余裕が出てきます。
岡目八目というヤツですね。

こうしたちょっと引いて、斜め上から見るような目線を持つことを
俯瞰力と呼ぶ人もいます。
あるいは心理学的用語ではメタ認知とも呼ばれます。
あるいは、NLP(神経言語プログラミング)と呼ばれる、
最近流行の心理学では、ディソシエイトなどとも言われます。

ま、名前はどうであれ、
こうしたものの見方をできるだけ身につけておきたいものです。
(自戒も含めて)

しかし、その反面、
自分の感覚というか、情動に素直に反応するというのも大切なことですね。

綺麗なものを見たら綺麗だと感じること。
チューリップが咲いていても、何とも感じないのはやっぱり淋しい。
それは、桜やチューリップだけではなく、
そこらへんに普通に咲いている雑草なんかでも、
花が咲いている姿は結構綺麗だったりします。
そうしたものにも心を動かすことができるのも、
結構素敵なことだと思いませんか?

まあ、そこまで行くと花鳥風月を愛した平安時代の貴族みたいですけど。