僕が医師になるまで1 保健の板谷

僕は滋賀県東浅井郡虎姫町(現長浜市)に生まれました。
小学生の頃は、まあ、平凡な多少勉強ができるかな
という程度ではなかったかと思います。

それが中学入学した最初のテストで、
たまたま好成績をとったものですから、
あとは引くに引けず、「落ちたな」と言われるのが嫌で、
頑張って勉強しました。

おかげで、3年間まずまずの成績をキープすることができ、
高校は地元の進学校に入学することができました。

高校では、さすがに周辺の成績の良い生徒が集まってくるので、
中学の時の様には行きません。
またまた、平均的な、まあちょっとできるかなという位の
ポジションに座ることになりました。

あっ!昔の頃のことを書いていたら思い出しました。
確か中学の時だったかと思います。
最初に行われた中間試験の結果発表でのこと、
一つ一つの教科の順位は普通、
誰が何番とかあまり公表しないのですが、
その時なぜか保健体育に限ってですが、
試験を返してもらう時に、なぜか僕が1番だと言われました。
以来、しばらくの間、「保健の板谷」と呼ばれることがありました。

今はどうかわかりませんが、当時は保健体育が得意というのは、
イコールすけべだという風潮がありました。
昔は今のように性に関する情報もそんなに氾濫していませんでしたし、
思春期の頃は、むしろ、隠れて見るものという感じがありました。
そんな中、保健体育という教科も、まともに勉強する教科でしたが、
何となく気恥ずかしいものでもありました。
(少なくとも純朴な僕はそうでした)

だから、「保健の板谷」と呼ばれることで、
照れくさいような恥ずかしいような、
そんな記憶が残っています。
でも、今思えば、これが今の自分の方向性を決める
最初のエピソードだったのかもしれません。

ちなみに、「○○の板谷」という称号は、
大学時代にもう一度いただくことがありました。
それは、寄生虫学の試験で、
この時もなぜかこの教科に限って、先生が成績を発表しました。
以後、しばらくの間、「寄生虫の板谷」と呼ばれることになりました。
しかし、この「寄生虫の板谷」という称号は、
知らない人が聞いたら人にたかっている人間の様にも聞こえるので、
あんまりうれしくないものでした。

話がそれました。
まあ、そんなわけで中学時代は頑張って勉強しました。
おかげで、地元の進学校に入ることができましたが、
高校では、上には上がいうことを改めて知ることになり、
それはそれで、ちょっとほっとした気持ちになって、
しばらくはクラブ活動に打ち込むのでした。
(まあ、ヘタはヘタなりのクラブ活動でしたが)