ジューン・リンジー、DNAの物語の中でもう一人の忘れられた女性

僕が医師になろうと思った最も最初の動機は
分子生物学や遺伝子工学に興味をもったことからでした。
つまり高校の授業で遺伝子やDNAの講義でした。

DNAの基本単位はデオキシリボース+リン酸+塩基から構成され、
塩基は、アデニン(A)・シトシン(C)・グアニン(G)・チミン(T)
の4種類があり、RNAウイルスを除くすべての生物は、
逆にこの4つしかなくて(※)、
このうちA/T、G/Cが対になる様になっていて、
これがずら~と繋がって二重らせん構造をしているというものでした。

ワトソンとクリックによるDNA二重らせん構造の発見ですが、
この話を聞いたときに、生命の謎の一つが
こんなシンプルな原理で成り立っているんだ
ということを知って感動しました。
(※:この「4つしかない」については改めてお話できればと思います)

その後さらに、
DNA⇒mRNA⇒タンパク質と言うセントラルドグマを知って、
すっかり分子生物学に魅了されたものでした。
ですから、ワトソンとクリックの名前はよく知っていましたし、
『遺伝子の分子生物学』はバイブルでした。


実はこのDNAの基本構造の解明には、
一人の女性研究者が関わっていたそうなのです。

12月13日のnature briefing(メールマガジン)では
”June Lindsey, a forgotten pioneer of DNA
(DNAの忘れられたパイオニア、ジューン・リンジー)”
という表題で、June Lindseyという女性研究者を取り上げています。

”In the story of the discovery of DNA, alongside Rosalind Franklin, there was another X-ray crystallographer whose contribution has been widely neglected: June Lindsey. Born June Broomhead, she discovered the structure of adenine and guanine ? a key part of solving the DNA double-helix puzzle. In 1945, Lindsey joined the legendary Cavendish Laboratory at the University of Cambridge, UK. “I think she had the best time of her life,” says her daughter Jane. That’s where DNA co-discoverer James Watson consulted Lindsey’s thesis, which sparked a new understanding of the makeup of the molecule of life.
(機械訳:DNAの発見の話の中で、ロザリンドフランクリンと並んで、その貢献が広く無視されてきた別のX線結晶学者がいました:ジューンリンジー。 彼女は、アデニンとグアニンの構造を発見しました。これは、DNA二重らせんパズルを解く上で重要な部分です。 1945年、リンジーは英国ケンブリッジ大学の伝説的なキャベンディッシュ研究所に加わりました。 「彼女は人生で最高の時間を過ごしたと思います」と娘のジェーンは言います。そこで、DNAの共同発見者であるジェームズワトソンがリンジーの論文を参考にしました。これにより、生命の分子の構成について新たな理解が生まれました。)”

この短信の元記事は、Chemistry Worldというサイトの記事です。
June Lindsey, another forgotten woman in the story of DNA
(ジューン・リンジー、DNAの物語の中でもう一人の忘れられた女性)

以下、元記事を機械訳を元にざっと要約してみました。
(正確性はご容赦ください。
ご興味をもたれたかたは原文をお読み下さい。)

ジューン・リンジーは、
イギリスのドンカスター郊外の小さな村で生まれました。
理科が得意だった彼女は母親の奨めによって
ケンブリッジ大学に進学します。
しかし、当時は英国でもまだまだ女性の地位は低かった様です。
1944年に卒業の際にも学位の取得は許可されていませんでした。
(その後1998年になってようやく承認されたそうです)

その後1945年、リンジーはキャベンディッシュ研究所という
X線結晶学で有名な研究所に入り、
2つの物質の結晶の研究を任されました。
その物質がアデニンとグアニンだったそうです。

彼女はこの2つの結晶にX線ビームを照射しデータを収集、
そしてそのデータを元に構造を計算で割り出していきました。
今ならコンピュータを使えば簡単な計算も、
当時は机に座って何時間もかかって行う必要がありました。
(おそらく最終的な構造決定には、
数ヶ月はかかったのでないかと思います。)

こうした仕事がワトソンとクリックの1953年にnatureに掲載された
有名な論文:
Molecular Structure of Nucleic Acids: A Structure for Deoxyribose Nucleic Acid
(核酸の分子構造:デオキシリボース核酸の構造)
に影響を与えたと思われますが、
この論文にはリンジーの仕事は引用されていません。
(その後のRoyal Societyの論文では彼女の功績に言及しています)

リンジーは、女性では3人目のノーベル化学賞を受賞した、
ドロシー・ホジキンとも一緒に働いていて、
ホジキンの功績『X線回折法による生体物質の分子構造の決定』の中で
ビタミンB12の構造決定にも関与しているようです。

業績があるのに彼女の名前は多くの科学史の本から欠落しています。
「しかし、彼女が研究を行った時間は非常に幸せな時間だった」
と、娘のジェーンは語っているそうです。

2021年11月ジューン・リンジーさんは99歳でなくなられました。
彼女が学部生として学んだケンブリッジ大学ニューナムカレッジでは
彼女に敬意を表して銘板を設置することを検討しているそうです。

立派な仕事をしながらも忘れ去れている人は
他にもたくさんいるのかもしれません。
こうした記事をnatureが短信とはいえ扱ってくれたことを
僕はうれしく思います。