確率という名の不条理

本日は東日本大震災から9年目の日。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

地震国日本では、
大地震はどこかにいつかはまた生じる可能性があります。
ただ、いつ、どこで起こるのかは
今の科学では予知することはできません。

しかし、予知することはできないとは言いながらも、
「○○年以内に○○%の確率で大地震は必ずやってくる」
と言ったふうに言われます。

まあそれはそうなんですが、
それはいつなのか?
それがどこで起こるのか?
それが分からないと、結局途方にくれてしまいます。
いくら確率○○%だと言っても、
その場その時にそこに居合わせた人にとっては、
それは100%のできごとになるからです。
ここに確率というものの不条理がみられます。

まあ、途方にくれてボーッと生きていたら、
結局地震が起こった時に何も策がなくやられっぱなしです。
日頃から地震が起きた時のシュミレーションを
しておくかどうかで、本当に起きた時の生存率が変わります。

「悲観的に用意をして、楽観的に対処せよ」
みたいな言葉を以前聞いたことがあります。
・・・聞いたことはありますが、
凡人の僕は結局何にもできていません。

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ところで、確率というものの不条理は
医療においても同じです。

○○という治療の有効性は○○%といった言い方をします。
たとえば、何らかの悪性腫瘍に対して、
手術を行った場合、5年生存率が90%だったとします。
これは、5年後にその方が生きている可能性が90%であり、
10%の方は亡くなられていることを示します。
5年後に体の中の悪性腫瘍が90%減少している
という意味ではありません。
90%から外れた人にとっては、死は100%なわけです。

薬の有効性や副作用の確率についても同様です。
ある薬剤が70%の有効性があると言った場合、
その人の病気が70%治るということではなく、
その薬を用いた場合に、有効と著効・治癒に至る人が、
100人中70人であるということです。
残念ながら30%の方に入ってしまった人にとっては、
病気は変わらないか、悪化しているわけです。

薬の副作用でいえば、
副作用の発現率が0.01%で重篤な症状がおこるとすれば、
10000人の人のうち9999人は(効果があるかどうか別として)
体に対する悪影響はさほどないことになりますが、
1人は重篤な症状がでることになります。
その人にとっては生じる悪影響は100%なわけです。

まあ、一般的には有効性と危険性を天秤にかけて、
有効性が危険性を上回ると思われる場合に
薬を使用したり、ある治療法を採用したりするわけですが、
何かそこにはやるせないものを感じます。

誰もが治療の恩恵だけを受けたいものですが、
リスクの問題はいつも内在しています。
我々医療者はそれでもできるだけ
回避できるリスクは回避して
患者さんが恩恵を受けられるように
十分注意をしなければならないと思います。

ところで、確率論の不条理は、
現在の新型コロナウイルスでも同じです。
ウイルス保持者と思われる人と接触があっても、
うつる人もいればうつらない人もいます。
うつったとしても、症状の出ない人もあれば、
軽症の人もいるし、重症の人もいれば
亡くなられる方もいらっしゃいます。
確率は○○%と数字はでてきますが、
かかって重症になった人にとっては、
数字は何の役にもたちません。

その不条理が、
現在のややヒステリックな状況を
作っているのだと思います。

ということは、
確率論は不条理だとはいうものの、
そうした数字は無意味なのかと言えば全く逆で、
確率がわかってきたからこそ、
冷静に行動すればいいことがわかります。

連日、テレビやネットでは
不安を増大させる記事が並んでいますが、
悲観的になりすぎず、かと言って楽観的に構えすぎず、
冷静に行動したいなと思います。