本:身体の聲

『身体の聲 武術から知る古の記憶』 光岡英稔, PHP研究所
身体の聲

我々は意識的にも無意識的にも、いろいろな物事、
それは具体的なものであっても抽象的なものであっても、
いろいろな物事・事象にイメージを持っています。

そして、そのイメージというのは、
文化によっても異なるし、時代によっても変化します。

たとえば、今では病気を治すためには、薬を飲んだり、
医療機関にかかったりするのが、一般的なイメージです。
でも古代であれば、薬も少しはあったでしょうが、
祈祷が一般的だったと思います。

亡くなった人を葬る方法は、日本では火葬がほとんどですが、
今でも土葬が当たり前だったり、場所によったら、
鳥葬なんてのもあります。

イメージというものを
この本によれば、我々の身体に対するイメージでさえも、
ジェネレーションギャップというものが存在すると言います。

リアルな身体の変化などは、
たとえば、日本人の体格や体力でも、
昔と比べると身長が伸びたとか、逆に体力はなくなったとか
言われているのを時々耳にします。

食生活が欧米化して、乗り物が発達したりしたので、
まあ、そうだろうな、くらいのことは理解できます。

しかし、この本には冒頭で、僕の予想を遙かに超える
身体のイメージの変化が書いてありました。

その一つが、米俵を5俵(300kg)を担ぐ農婦の写真。
大正末期か昭和初期に撮影されたものらしいとのこと。
この写真を見て、ウェイトリフティングをしている人や、
スポーツをしている人は、
「ありえない!」「想像できない!」と言ったそうですが、
ある人は、納得するような表情を見せ、
自分のおじいさんは若いときに隣村の農家から
米俵2俵を担いで持って帰ったと聞いていると言ったそうです。

現代に比べて栄養価の低い食事をしていた人たちが、
なぜそんな力を発揮できたのか。
それは、「労働観と身体観の差」にあると筆者は言います。
今だったら、筋力をつけようと思えば筋トレという発想ですが、
昔はわざわざ鍛えるまでもなく、
日常生活で田畑を耕したりといった生活をする上では、
人力か牛馬に頼るほかなく、基本的にはすべて人手。
日々の暮らしそのものが鍛錬であっただろうと筆者は言います。
昔と今とでは生活様式と労働観、身体観がまるっきり違うのだと。

まあ300kgは本当かどうかはわかりませんが、
少なくとも女の人で60kg程度のものは、平気で担いでいたでしょう。
生まれてからずっと家族や近隣の人たちが、
そうした荷物を運んでいる姿を毎日目にしていたら、
できて当たり前、普通に感じられる感性が育ち、
それが常識になるのだそうです。

また、別の例として、
明治期の旧制中学校の修学旅行の記事が紹介されています。
1893年(明治26年)松江の島根県第一尋常中学校の修学旅行。
生徒と教師81人が、10日間にわたって、
島根から鳥取、岡山、香川、広島県を巡り島根に戻ってくる、
というもので、実に500kmの行程。
旅程の1/4は汽船や川舟、鉄道を利用した以外は、
ほとんどは徒歩での移動だったそうです。

500kmというと、東海道(日本橋~京)と
ほぼ同じくらいの距離(492Km)だと思います。
昔の人は東海道を2週間前後で歩いたそうです。

492kmを14日でと考えると、1日35km程度。
時速4/kmで1日9時間。
朝7時に出発して、途中1時間休憩入れて、
夕方17時まで歩く感じですかね。

まあ、数字だけ見たら可能かなと思いますが、
まあ僕は最初の1日でダウンですね。
でも、これが昔の人の常識だったわけです。

まあ、東海道を歩くというのは、当時でも一生の中でも
一大イベントだった人も多かったかもしれませんが、
それでも、ちょっと隣村までと言って、
10kmや20kmくらいは平気で歩いていたと思います。
というか、一般庶民の場合、
馬や牛に乗るというのは特別の時くらいで、普段は
歩く以外に方法がなかったので仕方なく歩いていたのでしょう。

その他にも、この本には、昔の職人や武術の達人の、
現代では「あり得ない」と感じるエピソードをいくつも出てきます。

なぜ、現代人が「あり得ない」と感じてしまうのか?
それは昔と現代では、身体の常識がまるで違う、
身体へのアクセスの仕方である集注観と身体そのものが、
変わってしまったからだと、筆者は言います。

生活の変化により身体も大きく変わったと。
缶切りが使えない、正座が長時間できない、
中腰で長時間作業ができない・・・などなど。

これは、かつての生活様式が消えていく中で、
それに伴ってた身体の感覚が消えていったのだそうです。
缶切りが使えないのは、手の感覚が薄くなり、
力の入れ方が分からない、身体とのつながりが実感できないため。
そういえば、雑巾を絞れない子どもなんかも同じかもしれませんね。