未来患者学2018 vol.2 

さて、2時限目は、福島正伸先生の講演。

題名は「僕はがんを治した37オピニオンの奇跡」。

福島氏は一部上場の企業にも多数研修などを行っている
有名コンサルタントだそうですが、中咽頭がんを患い、
一時はStage4で余命宣告をされたとのこと。

この余命宣告された直後から彼は日記を書き始めたそうです。
それは、今まで生きてきた心情などを残しておきたい・・・
といったことではなく、
「治れば本にできる!」
という想いからだったそうです。
つまり、ゴールだけを見ていたのだそうです。

この福島氏の普段からの信条は、
「決してあきらめないこと」

「あきらめない」と決めたら、どこまでもあきらめない。
この時は死ぬまであきらめない、と決めたのだそうです。

これは、福島氏が、コンサルタントや起業家として、
これまで歩まれてきた経験から、導きだされたもの。
起業となると行政に提案書などを提出しなければいけない
そうなのですが、今まで書いた提案書はすべて通したのだと。
ただ、それには、平均で50回は書き直しが必要だったとか。
労働省への提案書の時には実に79回かかったと。

解決しない問題はない!ただ、いつ解決するかがわからないだけだと。
役所でたらい回しにされるというのは、大間違い。
たらい回してもらっているうちに、
なんでダメなのかは相手が教えてくれるのだと言われました。

まあ、そんな性格ですので、
自分が咽頭がんで余命宣告をうけても、決してあきらめない。
37回セカンドオピニオンを繰り返し、
最後に行き当たったのが陽子線治療だったそうです。
そして余命宣告までされながらも治癒されたのだそうです。

まあ、同じように頑張っていい治療法を探したけれど、
力尽きてなくなられた方も中にはいらっしゃることでしょう。
でも、37回もセカンドオピニオンをして、
粘りに粘ったことで運命を引き寄せたということなんでしょうね。

今回の治療にまつわる件では、情報の収集が大切であったと。
インターネット、口コミ、書籍など。
治療法は医師によっても全然違うし、値段も全く違う。
インターネットなどは玉石混淆です。
いろんな情報が入り乱れてますので、
自分に基準がないと迷うことになります。

どんな基準を持つか、これは自分で決めること。
医師の話を聞いても最後は自分で決めること。
それには、自分の意志をはっきりさせること。
福島氏の場合は完全に社会復帰したいという意志でした。

そして、基準を決めたら情報戦を制すること。
情報を共有すると、よい所に患者さんは集中します。
これは厚労省の方針とは逆だと。
厚労省の方針は、どこでも等しく同じ治療が受けられること。
まあ、中央集権型の制度と医療は平等という観点からすれば、
それは間違っていません。
だけど実際には、医療に格差があるのも確か。
福島氏は、将来的には患者さんが
等しく医療情報を共有できる社会にしたいといのことでした。

その他の福島氏の言葉:
命に限りのあることを知らせてくれるのが大病。
病気になったことで、今日からは、人にやさしく、
自分らしく、なりたい自分をめざす。
病気になったことを不幸としない。
病気になって不幸だと思うことが不幸だ。
「どうせ治る」「絶対治る」そう思って過ごしましょう、
とのことでした。