僕が医師になるまで5 合格してから

本当に合格したのかな?
半信半疑で数日過ごしていると、届きました合格通知。

さて、それからが大変です。
四畳半とはいえ下宿生活も1年していますと物が増えます。
これを金沢から高知にまで送らなければなりません。
・・・と、その前に高知の下宿を決めなければなりません。
・・・と、その前に両親に報告です。

当時、父親は体調が悪く入退院を繰り返している状態でした。
それでも、母親の話によると、僕の医学部合格を聞いて、
「でかした!」と叫んだそうです。

逆に母親はと言えば、
親類・知人に医者も医学部に行った者もおらず、
お金がどれだけかかるか心配もあり、
本当に金沢大学をやめて高知に行くのか?
もう3年したら就職なのに・・・みたいな感じでした。

そりゃそうです。
父親が入院したりしていたので先行きの不安もあります。
その上医学部というとお金がたくさんかかるイメージがあります。
実は国立大学の場合(特に昔は)、他の学部と比べても、
特にたくさんお金がかかるわけでもなかったのですが、
誰も相談相手がなく、情報がないので不安になるばかり。

最終的には叔母の
「行かせてやりーな。いざとなったらうちが何とかしたる」
の一声で母親も腹をくくりました。
お袋、おばさん、ありがとう。

さて、次は下宿探しです。
本当なら、下宿を探しに高知に行き、手続きをして、
金沢に戻って、荷造りをして、送り出して、
再び高知に行って荷物をほどく・・・
考えるだけでバタバタです。

ここでもラッキーボーイは続きます。
金沢大学で、同じ生物学科に入学した同級生に、
たまたま高知出身のS君という友人がいました。
大学入試が終わった後、彼の家に遊びに行き、
ついでに高知の観光名所も案内してもらっていました。

そして、僕が高知医科大学に合格したと知ると、
ご家族も一緒になって喜ん下さって、
親身になって(文字通り親の代わりに)
下宿先を見つけてくださったのでした。

このSさん一家とはその後も
長くおつきあいをしていただいています。
・・・というか、いつもお世話になってばかりなんですが。

大学時代、同級生は普段は金沢にいるので家に行っても
彼はいないのですが、時々顔を出すとご両親が、
「あー、板谷君!ようきたね。ちょっいと上がっていき!」
と笑顔で言ってくださるものですから、
厚かましくも上がり込んで世間話をして
時にはご飯をごちそうになって帰ります。

全く知らない土地に来て、
一人も知っている人がない中で、大学生活が始まりましたが、
そんな中で、いつ行っても
笑顔で迎えてくださるところがあるというのは、
僕にとってはありがたい存在でした。

大学を卒業して、しばらくは中々高知に行くことができませんでしたが、
4,5年前から数年に一度高知を訪れるようにしています。
そのたびに、Sさん一家は今でも笑顔で僕を迎えてくれます。