前回からの続きです。
2025年10月12日(日)川越で開催されました日本栄養精神医学会についての報告です。
奥平智之先生の会長講演
表題は『栄養精神医学による治療戦略 ー鉄・キヌレニン・マグネシウムを統合する実臨床ー』
1.「栄養精神医学(nutritional psychiatry)」とは
食と栄養が脳と心(精神)に及ぼす作用を解明し、臨床実践に還元しうる学問
「メンタルヘルスは食事から」は本領域を貫く実践理念
食の質を治療の土台に据えること
何をどう食べ、体内でどう”使える”状態にするか
栄養精神医学は栄養医学的知見と精神医学的知見を統合し、
評価・介入を体系化臨床運用の前提は精神科専門医による正確な診断
栄養学が知の供給源であるのに対し、
「栄養医学」はその知を”臨床で運用する枠組み”
2.鉄欠乏(絶対的・機能的)とドーパミン神経
絶対的鉄欠乏は、貧血の有無にかかわらず「貯蔵鉄の枯渇」を意味する
機能的鉄欠乏は炎症により鉄動員が阻害された状態で、「鉄の利用・吸収障害」
臨床ではヘモグロビンやMCVだけでなく、
フェリチン、TIBC、CRPを最小セットとし、
慢性炎症下ではフェリチンの上昇を伴う実臨床では
絶対的鉄欠乏と機能的鉄欠乏が合併していることが少なくないため、
フェリチンが一見よさそうな数値であっても、
鉄欠乏を見逃さないことが大切
鉄欠乏があってたとしても、
鉄剤を経口から積極的に摂ってよい場合と補わない方がよい場合がある
血液検査もしないで安易に鉄のサプリメントをすすめることがあってはならない
鉄はセロトニンやドーパミンの生成に必要な補因子
鉄欠乏では、集中しづらい、やる気が出にくい、落ち着かない、
動作がぎこちない眠りが浅いといった日常の困りごとが生じる
鉄欠乏がSSRIの効果を減弱させる可能性がある
3.炎症に伴うトリプトファン代謝シフト:キヌレニン経路のNAD+需給と神経毒性の二面性
体内に炎症が起こると、トリプトファンの行き先がセロトニン作りから、
キヌレニン経路(非常時の防衛ライン)へと変わる
トリプトファン⇒キノリン酸によってNMDA受容体活性化・酸化促進
⇒NMDA受容体が強く刺激されることで、Caが細胞内に流入
⇒興奮が長く強く続くとブレーキが利かずに
神経細胞が疲弊して障害されやすくなる
つまり、キノリン酸は、過剰興奮と酸化ストレスを通じて神経に負担をかける
結果として、
過敏さ、倦怠感、気分の落ち込み、頭が回りにくい感じ
などの自覚につながりえる
炎症時にはナイアシンアミドを補う
抗炎症栄養素(ビタミンD、オメガ3、亜鉛など)を補給し
キヌレニン代謝を穏やかにする
4.鉄欠乏とマグネシウム利用障害:Mg-ATPを軸にみるエネルギー代謝
マグネシウムの作用を体内で最大限に発揮するためには、
鉄に依存した十分なATP産生が不可欠
マグネシウムが不足すると、エネルギー代謝効率が低下するとともに、
神経筋の興奮性が高まり、不安定性が症状として表出しやすくなる
鉄欠乏が加わると、事態はさらに複雑化する
5.栄養という材料を適正化して向精神薬を使う
精神科臨床において、
神経伝達物質の生成と代謝は向精神薬の効果発現と直結している
その基盤となるのは、
食事由来のアミノ酸やそれを代謝するために必要な補因子・補酵素であり、
これらが欠乏すれば薬物の作用は本来の力を発揮できない
胃酸を含む消化酵素、ビタミンB6、鉄、
葉酸、ナイアシン、ビタミンD、亜鉛、ビタミンC、銅
といった多様な栄養素が、それぞれの補因子や補酵素、
あるいは間接的な代謝調節因子として必須の役割を果たしている
1)胃酸(消化酵素)
胃酸分泌の低下(低胃酸症や胃酸抑制剤使用)はアミノ酸吸収を阻害し、
結果的に神経伝達物質合成に必要な基質が不足する
胃酸抑制下では還元が不十分となり、二価鉄として吸収される割合が低下する
長期の胃酸抑制薬使用は低マグネシウム血症をひきおこしえる
2)ビタミンB6(ピリドキサールリン酸PLP)
B6欠乏によりグルタミン酸デカルボキシラーゼGAD活性が低下すると、
グルタミン酸からGABAが生成が制限され、
神経興奮と抑制のバランスが崩れ、不安や痙攣傾向が生じやすくなる
一方、モノアミン作動性神経系においてもB6は必須
L-ドーパをドーパミンに、5HTPをセロトニンに変換する反応を担い、
いずれも補酵素としてPLPを要求する
したがって、B6欠乏はドーパミンおよびセロトニン生成の効率を低下させ、
抑うつ、不安、易刺激性などの精神症状の病態基盤となりえる
B6欠乏は抗うつ剤や抗不安薬の効果を減弱させる可能性が示唆されている
3)鉄
鉄は神経伝達物質合成において多面的に必須
鉄欠乏はドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンといった
モノアミン神経伝達物質の生成を直接的に阻害する
さらに鉄欠乏により電子伝達系効率が低下しATP産生が制限される
このため、鉄欠乏はATP産生低下を介して、Mg-ATP依存的酵素反応にも影響し、
同酵素反応依存性のキナーゼ反応や膜輸送機構を介して
二次的に神経機能を障害する
臨床的には鉄欠乏は発達期のドーパミン作動系の成熟に悪影響を及ぼし、
注意欠如多動症(ADHD)、うつ病、不安障害などとの関連が指摘されている
またレストレスレッグ症候群や睡眠障害の病態生理とも密接にかかわる
4)葉酸
葉酸は核酸合成やメチオニン回路における、メチル基供与に利用され
メチオニンを再生する反応に必須である
葉酸欠乏はこれらの経路を阻害し、ホモシステインの蓄積、
S-アデノシルメチオニン(SAMe)濃度の低下をもたらす
その結果、モノアミン合成・代謝の恒常性が崩れ、
抑うつ、不安、認知機能低下といった症状を引き起こすリスクが増す
臨床的にも低葉酸血症は抗うつ薬治療抵抗性と強く関連し、
葉酸あるいはL-メチル葉酸の補充が
SSRIなど抗うつ剤の効果を増強することが報告されている
5)ナイアシン
ナイアシンは体内でニコチンアミドアデニンジヌクレオチド(NAD+)
およびそのリン酸化物(NADP+)に変換され、
数百種類に及ぶ酸化還元酵素反応補酵素として関与する
これらは、脱水素酵素、酸化還元酵素、酸化的リン酸化系に
広範に組み込まれており、
神経伝達物質を含む代謝ネットワークの基盤をなす
臨床的には重度のナイアシン欠乏であるペラグラでは、
皮膚炎・下痢とならんで
認知障害や抑うつなど神経精神症状が出現することは歴史的に知られている
6)ビタミンD
ビタミンDは補因子や補酵素として直接的に酵素反応を担うのではなく、
活性型ビタミンD(1,25-ジヒドロキシビタミンD3)として
核内受容体(vitamin D receptor,VDR)に結合し、
ステロイドホルモン様に転写因子として機能する
特に注目されるのはトリプトファン水酸化酵素2(TPH2)の発現制御
この経路を通じて、ビタミンDは脳内セロトニン濃度を高め、
気分安定作用や社会的行動調整に寄与する
ビタミンDはキヌレニン経路に影響を与え、
慢性炎症や酸化ストレスによる
トリプトファン代謝の逸脱を抑制することも示されている
これによりセロトニン前駆体であるトリプトファンの利用効率が改善され、
セロトニンやドーパミンといったモノアミン合成環境が保たれる
さらに、ビタミンDはグルタチオン合成酵素の発現を誘導し、
抗酸化能を高めることで神経細胞を酸化ストレスから保護する
ビタミンD欠乏はシナプス伝達効率の低下や
神経興奮性の不安定化をもたらす可能性がある
7)亜鉛
亜鉛は約300種類以上の酵素に含まれる補因子として機能し、
神経伝達物質代謝にも重要な役割を果たしている
さらに亜鉛は神経伝達物質の合成のみならず、
放出・シグナル伝達の調節にも関与する
亜鉛は、神経伝達物質生成における直接的な補因子というよりも、
「補酵素B6の機能支援」と「シナプス機能の微調整」を通じて
神経伝達の恒常性に寄与する栄養素
臨床的には亜鉛欠乏は、
うつ病、不安障害、統合失調症など多様な精神疾患で報告されている
8)ビタミンC(アスコルビン酸)
ビタミンCは酸化還元補因子として働き、
ミンβ-水酸化酵素補因子としてノルアドレナリン生成に必須
また、ビタミンCはテトラヒドロビオブテリン(BH4)の再生を促進し、
チロシン水酸化酵素(ドーパミン生成)や
トリプトファン水酸化酵素(セロトニン生成)の
持続的活性維持に関与する
ビタミンCが欠乏すれば、BH4の再生効率は低下し、
結果としてこれらの酵素の反応速度が制限される
これらの神経伝達物質は情動、意欲、覚醒調節に不可欠であるため、
ビタミンC欠乏は抑うつ症状や疲労感、易刺激性など
多彩な精神神経症状の背景となりえる
ビタミンCは抗酸化作用以上に、
神経伝達物質代謝の効率を規定する
不可欠な栄養素であると位置づけられる
9)銅
銅とビタミンCは協調してノルアドレナリン合成を成立させている
銅は神経細胞のエネルギー代謝にも深く関与する
銅欠乏は、ATP産生効率が障害され、
神経伝達物質の合成・放出・再取り込みといったATP依存的過程に
悪影響がおよぶ
銅はまた、
スーパーオキサイドティスムターゼ(Cu/Zn-SOD)にも必須であり、
酸化ストレスを介して神経伝達物質合成環境を保護している
酸化還元恒常性が破綻すると、
結果的にカテコールアミンやセロトニン合成にも間接的な影響を生じる
臨床的には銅欠乏はノルアドレナリン合成障害に直結し、
抑うつ、易疲労感、集中力低下などの
精神神経症状を引き起こす可能性がある
まあ、いろんな栄養素が精神神経症状に影響を与えているんですね。
次回に続く
